スーパースターだったトム、ホルコム氏
今のネイリストさんはご存知ない方もいらっしゃると思いますが…
私は今でも彼以外に綺麗な爪を作るマニキュアリストに出逢った事がありません
初めて彼をみかけたのは
1990年私が日本の大会で優勝して、その副賞で参加させて頂いたLAでの大会
私とトムは10歳年が離れていて確かその時彼は学生だったはず
ステューデント部門で圧勝した彼の周りには人が沢山集まっていてそこだけがスポットライトを浴びていた
私はと言うと初めての海外大会
副賞で浮かれていて完全に舐め切っていた私は前日の会場を見てびっくりした
スカルプチュアで出場予定だったけど
今で言うで白とピンクのフレンチスカルプチュアを見た事もなければ、教わった事もない
情報を集めるとどうやらフレンチが当たり前みたいらしい
このままナチュラルで出場しても勝てる訳がないし、一応日本代表だから日本の恥になる
出場前日、会場のブースで知らないメーカーの白とピンクのスカルプチュアのパウダーとリキッドを買った
スタイルラインなんて知らないから
グラデーションみたいな仕上がりにしかならない
ホテルで練習したけど…酷い出来
匂いがあるから、同室の方にも申し訳ない
同室の方は私をネイルの世界に誘ってくれた中村富玖美先生
私1位副賞参加で舐めてる、中村先生2位で自費参加リベンジに燃えてる
お互いにモデルもする事になった
私の結果は当然ダメダメで、
中村先生はアート部門で優勝🏆🥇
自分の事のように嬉しかった
さて
それから
様々な会場でトムを見かけた
そして必ず優勝🏆🥇優勝以外見た事がなかった
これは部門が違うけど
スカルプチュア プロ部門トム1位🥇
私デザインスカルプチュア2位🥈の時の大会
アメリカの雑誌に掲載されていてびっくり
トムと並んでいるのが嬉しくって、額に入れてサロンにずっと飾っていた
Iの所が私
Eがトム
Tは良く一緒にコンペに出た早苗ちゃん
LA、ラスベガス、ニューヨーク、オーストラリア、ハワイ、韓国、台湾、何処に行ってもトムがいた
日本では彼が選手で私が審査員なんて時もあった
おこがまし過ぎる
北海道だったかなぁ
彼のクラスルームがあるから行かないと師匠が誘って下さった、セミナー後の会食時にトムがネイルバックをゴソゴソしながら
【君にあげるよ
僕はこれで勝ったよ】
と
私にくれた、宝物のCカーブスティック
この先端に巻いてあるEZFLOWのファイルはトムが剥がして切って貼り付けたかと思うと
ほんとうに嬉しかった
私だけではなく、トムは惜しげもなく自分の道具をあげちゃうから…
彼から貰って大切にしている当時のネイリスト沢山いるはず
今では売っている物でも当時はみんな工夫していた
私もこれで何度か勝った🥈とか🥉だけど
それから私の四谷のスクールでセミナーをしてくれた
トムがうちに来てくれる
こんな事ってあるんだと
師匠に凄い事になっちゃって…師匠サプライズで来てとお願いした
セミナー参加者は盆と正月がいっぺんに来たようで最高のサプライズになった
数年過ぎて
訃報がっ
トムが亡くなったと
また、50にもなっていない
闘病中と聞いていたけど…
こんなに早く逝ってしまうなんて…
言葉を失った
私がネイルを続けて来れたのは技術を教えて頂いた師匠とあまりに天才な彼がいたからかもしれない
あの美しいスカルプチュアは日本のネイリストに多大な影響を与えリスペクトしている人は沢山いる
今のこんもりとしたgelnailを見てトムはなんて言うんだろう
私ごときが語るなんて
と
今まで一度もトムの事を文章にした事はなかったけど
移転の為の片付けをしながら
想いがいっぱいになってしまった
42歳くらいの時かなぁコンペはもう引退しようと決意して出場した韓国の大会で師匠から頂いた宝物
その後10年出続けて52歳でコンペ引退🤪
色々な想いを胸に
次のステージで戦います😊
Ryoko
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